それが各地に仏教寺院が建立されるにつれ、その対抗上から神道も変容してゆきます。それに類似したプロセスは、中国の道家にもみられます。
元々磐座磐境では「場」の神気を浴することで、霊的な浄化や、霊力の向上、霊性の進化等が起こるとされてきました。
それぞれの磐座・磐境の神気の違いから、祭祀の対象が同一でないことが徐々にわかるようになり、神々を人間の側から区別するために神名を付与するようになりました。
その時、名前からその神の活きが類推しやすいようにとの配慮から、言霊学が研究されていったと言われています。
このような仏教伝来前の、素朴で純粋な神道を、古神道と言います。
神には人格のようなものはなく、当初は擬人化もされていませんでしたが、寺院で仏像が祀られ、その後に神仏習合が進むにつれて、残念なことに、神道の神も人間のような姿にされてしまいました。
本来、神は大自然そのもの、自然の法則(働き)の神聖な象徴として祀られていたわけですから、寺院の真似をして街中に神社(本殿)を作り、その中に留めて祀るのは本来の趣旨からは相応しくないはずでした。ただ、分祀(分霊の祀り)がきちんと行われていれば、たとえ街中であろうと本社とリンクすることで神域となることも確認されました。
私はその本来の霊的な浄化や、霊力の向上、霊性の進化等が起こるような磐座磐境の神気を浴することができる神社を選ぶようにしています。たとえ街中にあろうとも、その条件が満たされていれば構いません。
追伸
神社の大木を触ったり撫でている人がいますが、私はよくないと思います。
ベタベタ触っても神気を受けられることなどありませんから、敬虔な気持ちで大人しく参拝してほしいものです。