言霊とは、一般に日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこととされているようですが、必ずしもそういう意味ではありません。
古代において言と事は同義に扱われていました。それは事代主神と言代主神が同神かのように思われてきたことでも明らかでしょう。
言は言葉を指し、事は行いを表わします。
つまり言葉と行いは互いに関係し合っているということです。このふたつの「コト」は、狭義では自らの霊魂に、広義では大自然の霊魂つまり神とも相関関係にあるのです。
善い言葉を発すれば良いことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起こる。これは前述の狭義の場合、至極あたりまえに聞こえる話です。
ただ善悪という概念は神道上ではあまり重視させず「罪穢れ」が問題だとされています。(罪には天津罪と国津罪の2種類あります)
端的には、悪意や過失からの行動や言動などにより自分や他の生命を穢すことが罪とされる、と思えばいいでしょう。穢れとは「気が枯れる」の意味で、生命力が低下することを意味します。
言葉には霊的な力が宿っているから、言葉を発すれば願いが叶うとか、摩訶不思議なことが起きるとか、広義の場合そういったことはまずないといっていいでしょう。
神道では「言挙げ」という言葉をよく聞きます。これは祝詞などの言葉を神に届くように発することを指します。もちろんそれにはいくつかの条件が整わなければならないのですが。
祝詞の言葉そのものに霊的な力が宿っているなら、誰が奏上(声に出して読むこと)しても神に通ずるはずです。しかし実際には、そういうことにはならないと思います。
