
ヨーガスートラを読めば一目瞭然ですが、サマディへの道程は密教ヨーガのような足し算の積み上げ型ではありません。むしろ正反対の引き算型だと言っていいでしょう。これは顕教ヨーガに共通する大原則でもあります。
道元の説く「身心脱落」つまり肉体感覚を消失させ、心の作用を止滅させることが八支則の説くヨーガの姿なのです。そして作為なき受容こそがそれを実現させる。クリシュナムルティの説く「意図的に窓を開けておこうとしたり、招き寄せようと試みれば、決して姿を現わすことはない。」とはまさにこのことです。
これについてはヘッセも「シッダールタ」で次のように著しています。
「静かな心で、開かれた待つ魂で、執着を持たず、願いを持たず 判断を持たず、意見を持たず 聞き入ること」(新潮文庫)
いつも思うのですが、言葉の使い方は異なれども、真理に到達した方々の言には、大変似通った志と風格を感じます。
「達人のいうこと、真理を学んだ人のいうことは古今東西、みな一如である。」(「知命と立命」安岡正篤)