
盲目的信仰に固執することは、悟りへの道を閉ざすことに繋がる。
この点については、最古の仏典「スッタニパータ」に於ける釈迦と同じ見解です。
『ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、
そのように汝もまた信仰を捨て去れ。
そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。』
(スッタニパータ 1146、岩波文庫 中村元訳)
ところで同経典では
『あまねく見る方よ。わたくしはあなたを礼拝します。
シャカ族の方よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。』
と願うドータカに対して、釈迦は次のように語っています。
『わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。
ただそなたが最上の真理を知るならば、
それによってそなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。』
つまり、盲目的信仰はもちろん、師に対する盲従もまた好ましいものではないと言っているのです。
仏陀、老子、孔子等人類の宝とも言える偉大な賢人・聖人に対して盲信盲従する事が、果たして彼等聖人達の望む道なのだろうか?ということなのでしょう。