
旅行に際して司馬遷の史記を持ってゆきました。
史記はこれまで何度か読んだことがありますが、今回は今までになく感動しました。
史記は、前漢の武帝の代に太史公・司馬談の子、司馬遷によって編纂されました。太史公とは、暦を作ったり、国家の祭司を取り仕切る役割です。
司馬遷は景帝の代に洛陽の西南夏陽で生れたとされています。
幼少にして孔安国博士に五経を学び、20歳にして諸国を遍歴。この2年間の諸国漫遊でその土地々々の風俗、習慣、民族性、歴史など多くを学ぶことが出来たといいます。それが後の史記編纂にどれほど役立ったことでしょうか。帰国後、彼は郎中(侍従補佐)に任命されて官吏となります。
10数年殆んど昇進もなく落胆していた彼に、匈奴視察の任が与えられました。その時司馬遷35歳。折りしも武帝は始皇帝以来誰も行なわなかった封禅の儀式を準備していました。
封禅とは、天命を受けた者が、泰山の山頂に赴き、壇を築き天地を祭る事によって真の天子となる崇高な儀式です。
この思想は春秋時代に生れましたが、始皇帝がその式次第を秘していた為に、後世に伝わっていなかったものです。司馬談はこの封禅の準備に心身共に疲れ果てたことが原因で病に伏し、司馬遷の帰国を待つかのように息を引き取ります。