神社参拝や祭典それ自体は、いわゆる顕斎になりますが、至誠通天を伴わなければ、形だけになってしまいます。
たとえば、実際の所、長年にわたりどんなに修行を積んでも、この至誠通天がなければ、神に通ずることはまず出来ないと思います。
もともと至誠通天は、吉田松陰が語った言葉として有名です。
「至誠(しせい)」は、四書の中の「孟子」と「中庸」に出てくる言葉です。
読み方としては、通常「至誠天に通ず」か「至誠は天に通ず」とされています。
意味的には、二宮尊徳の「至誠神の如し」や中庸の「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」を見ても、私利私欲のない「私心なき心」を「誠」と解し、「誠」の境涯に至れば必ずや天に通ずる、という意味で使われているようです。
古神道的には「惟神」(神のまにまに)の境地といってもよいかもしれません。
また大御心も「私心なき心」なので、その意味では「誠」そのものと言えます。
ちなみに昭和32~53年の22年間に、男子の名前で「誠」が18回も首位になっています
ところで、昭和17~20年の首位は「勝」で、2位が「勇」ですが、これは戦争中のことなので、時代的な背景を感じますね。