
『学問は人間を変える。
人間を変えるような学問でなければ学問ではない。
その人間とは他人のことではなくて自分のことである。
他人を変えようと思ったならば、先ず自分を変えることである。』
「安岡正篤一日一言」致知出版社
子曰、「学而時習之。不亦説乎。」
「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。」
学んだことを、日々の習いによって身につける。
その積み重ねは、学問や技を深めてゆきます。
その過程で様々な気づきがあれば、学びの内に本当の楽しさが沸いてきます。
その気づきは、知らず知らずの間に自らを変えてゆくことでしょう。
ただの学問が、真の意味で「活学」となります。
そのうちに、たくさん学んでまいりますと、自らが学びを通して得た喜びを人に伝えたくなります。
ところがそこに曾子は「三省」を心掛けよと言います。
曾子とは曾參。字は子輿。
「伝不習乎。」 「習はざるを伝ふるか」
ここでは「習」の意義が問われます。
単に上辺だけを学んだ程度で、あるいは又聞きや聞きかじり程度で、人に伝え語る資格があるのか、ということです。
孔子は次のようにいっています。
「子曰由誨女知之乎知之爲知之不知爲不知是知也」
「知るを知ると爲し、知らずを知らずと爲す。これ知るなり。」
これは中国医学の先生の口癖でしたが、昔から私も、自戒の意味で受け止めています。
10を知って10を語るのでは、何と頼りないことでしょう。
もしも10を語るならば、少なくとも、100の理解が必要だと思います。