
なぜ難しいかというと
「三十にして立つ」「四十にして惑わず」
を経なければならないからです。
つまり自立し、不惑となって始めて、天命を知る前提条件が整うのです。
もし自立していませんと、志は「単なる観念や空想」に過ぎず、現実にはなかなか結びつきません。
ですからまず「自立」して、物事を成してゆくための現実のエネルギー(志気)を得ることが、志を実現するベースとなります。
そして「四十にして惑わず」つまり不惑に至れば、当然のことながら「いかなる場合にも志を変えない」ということになるので、「志操とか節操」が出来「物に動じなくなる」わけです。
「知は行の始めにして、行は知の成なり」
知行合一も言葉の解釈だけなら難儀しませんが、問題は「知」の真義だと思います。
この「知」をどれだけ深く捉えることが出来るかです。
王陽明の「致良知」も結構なことですが、人間の本性や道徳知を超えた「天知(神知)」こそが、「良知」の極致だと、私は考えます。
そして、この「天知」を覚ることこそが、まさに「天命を知る」ことなのだと思います。