
『偉大な修業などというと、
どんな奇抜な人間離れしたことをするのかなどと思う間は
まだ何もわかって居らぬのである。
尋常日用の工夫に徹するのが大修業なのである。
大いに悟りを開こうと思って、
まず佛という偉大な者の秘儀をつかもうとあせって居る僧に、
趙州和尚(唐末の名禅僧)は答えた。
朝食は食ったか。
はい、いただきました。
食器をよくかたづけなさい、と。』
「安岡正篤一日一言」致知出版社
かつて私にも、秘伝や秘技を追い求めた時期があります。
なにか特別な技術によって、飛躍的に向上するものと誤解していたからです。
実際それらを沢山収集し、試みてみましたが、自分の本質部分には、何も変化が起こりませんでした。それでも一抹の期待からか、コレクションに精を出していました。
そんなある日、ヘッセの「シッダールタ」を読んでいたら、強烈に胸に響くものがありました。
その時から私は、小手先の技術や、秘伝と言われる術にまったく興味がなくなりました。
たとえば、瞑想ひとつとっても「形」ではなく、「質」が問われることに気づいたのです。
それは有形と無形に対する理解でもありました。
つまり秘伝や秘技の「形」からは、サマディなど起こりえないのです。
瞑想に於いては、無形の力ほど強いものはなく、それは無為にして初めて解放されるものだったのです。