石笛は鎮魂玉と同様、神界から奇蹟的に授かるのが本来であるが、かりに相当のものを尋ね出して用いてもよい。ふつうは拳大、鶏卵大の自然石で、自然に穴の明いたものを用いるが、古代の遺物はおおむねその穴が抜け通っている。先生が天快翁から伝えられた秘蔵の石笛は、二拳を合わせるぐらいの大きさに穴が斜めに抜け通っており、やや青みを帯びた黒色の神光奇しき逸品であった。本気で吹けば八丁聞えると云われ、天快翁はこれを神界から授けられた由である。』「英霊の声」三島由紀夫著より。
三島氏がこの「英霊の聲」を発表したのは昭和41年6月ですが、氏はその2か月後に大神神社(当時・中山和敬宮司)を訪れています。三島氏が「文化防衛論」を発表し「楯の会」を正式結成したのが昭和43年の事。
もしも44年以降に三島氏が大神神社に行かれ、その後に「英霊の聲」を書かれていたら、恐らく「英霊の聲」も違った内容になっていたと思います。なぜなら43年4月に、古神道家・鈴木重道氏と中山和敬宮司の同席のもと、大神神社で深夜に公式幽斎が行われたからです。
鈴木重道氏の「一本の道」に神社本庁事務総長・林栄治氏(当時)の「跛」が掲載されていますが、そこで林氏は次のように述べています。
『先頃昭和四十五年十一月二十五日に自決した三島由紀夫氏が、最後まで追求し続けたものがウケヒであったといはれる。三島氏を鈴木氏に会はせたかったと、今にして残念でならない。人生とは、人との出合ひであるが故に。』と。
三輪明神 大神神社 (おおみわじんじゃ) 奈良県桜井市、大和国一之宮 三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)は、本殿は設けずに三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社のひとつです。

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