もし卑弥呼の時代が崇神天皇や垂仁天皇の御代に重なると仮定した場合、二人の候補が挙げられます。それは倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と倭姫命(やまとひめのみこと)です。このお二人も神功皇后のように古神道に長じていて、それぞれ天皇から大役を任されます。
倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇の皇女であり、帰神術の神主として優れた能力を発揮します。
日本書紀巻五(崇神天皇)年秋に
『是に天皇の姑倭迹々日百襲姫命、聰明く叡智しくましまして、能く未然を識りたまへり、乃ち其の歌の怪を知りまして』
『天皇の姑の倭迹迹日百襲姫命は聡明で叡智があり、未来のことを予知する能力がおありだった。そこで命は即座にその歌が不吉な前兆であることを見抜いて、』(小学館「日本書紀」)
日本書紀にここまで書かれているのは大変珍しいケースです。
予知能力迄あったというのは、自感法や神感法で神意を伺うことができたということになります。
その意味では、卑弥呼説の有力な傍証になるでしょう。
ただ崇神天皇を差し置いて、倭迹迹日百襲姫命が外交を主体的に行ったというは、立場上かなり無理があります。それに、日本書紀で仲哀天皇が「朕周望すに、海のみ有りて国なし。豈大虚に国有らむや。」と神に言っていることから見ると、崇神天皇の時代に中国大陸と公式な外交を行ったとは思えません。