明治元年の戊辰戦争において庄内藩は幕府側に立ち激しく抵抗したにもかかわらず、何故「南洲翁遺訓」を編纂するほどに、生前の西郷翁と深い信頼関係ができたのでしょうか。
西郷翁を祀る南洲神社は、鹿児島市、沖永良部島和泊町、宮崎県都城市、そして山形県酒田市にあります。これを見ても特別な関係が窺えます。
庄内藩は幕末当時、最新兵器を保有し東北最強の軍事力を誇っていたといいます。会津藩が恭順した後も戦い続けた庄内藩も、最後まで自領に官軍の侵入を許さないまま明治元年9月に恭順。
その後西郷翁の働き掛けもあって極めて寛大な処置を言い渡されます。その様な背景もあり、明治3年から8年にかけて、庄内藩主酒井忠篤を筆頭に旧庄内藩士達が鹿児島を訪れ、西郷翁から多くを学ぶようになりました。彼らはその教えをすべて書き残し、後に「南洲翁遺訓」として刊行します。
南洲翁遺訓 - Wikipedia

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