薩摩出身の吉井友美の自宅で、極秘裏に行われた西郷隆盛一周忌。
当日の参加者は副島伯を含めて僅かに4名。招霊の正面には西郷の一軸をかけて、往時を偲んだといいます。その夜、副島伯が詠んだ歌が残っています。西郷翁への思いが込められています。
汝かために はしる涙は 民のため 君の御ためを 思ふすゑから
子供すら 夜鳴ずありけり 大君の 醜の御楯と 汝が有りし時
大君の 右の腕とも たのまれし 事もにくげの 種としなるを
罪あるか はた罪なきか 罪あるも 汝か功は つぶさるべしや
一杯の 水もてまつる 此こゝろ 汝は酌取て 淡しとや見る (同書)
西郷翁を想う副島翁の涙が眼に浮かぶようです。
副島翁も共に下野した西郷の遺言は心に響いたことでしょう。
江藤新平もそうですが、信頼する友が志半ばで続けて世を去ったことは、副島伯にとってもかなり心を痛めたに違いありません。清国帰国後に副島伯は、皇法へより傾倒してゆくことになります。
『吉井宅での西郷一周忌の顚末を後日宮島から聞いた勝海舟は、西郷、副島、板垣そして自分を和歌に詠んでいる。勝は副島を「宮はしらふとしくたてばかならずや其うつばりとならん君かな」と詠った。宮殿を支える官柱が太くなったならば、副島は必ず屋根を支える梁の役目を果たすであろう。「宮柱」とは、吉井や宮島ら宮中派を念頭に置いていたとも解釈できよう。勝もまた、副島を宮中を支えるべき人材と看倣していた。』(「副島種臣」佐賀城本丸歴史館)