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大和心

第244回 明治天皇の師として~副島種臣

著者:小山一夫 / 公開日:2023-05-20

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

『帰朝後の副島は

十二年四月一等侍講に任ぜられ、十三年辞意を表したが勅語を賜わり慰留せられる。

十四年は勲一等に叙せられ、十七年は伯爵を授けられ、十九年は宮中顧問官に任ぜられた。

二十一年枢密院顧問官。二十四年枢密院副議長。二十五年は内務大臣に任ぜられたが程なく辞して再び顧問官。かくして三十八年一月三十一日歿した。七十八才である。

この様に国家の元勲として天皇の側近にあって輝かしい一生を終ったのであるが、その詩文と書は共に天下に著名であったけれども、その霊学に就いては知る者甚だ限られていたのは何より残念であったと思われる。』(「本田親徳全集」鈴木重道著)

副島種臣 - Wikipedia

リンク

ja.wikipedia.org

『侍講に就任した副島は、火曜日には天皇、木曜日には皇后にと週二日の進講を開始した。明治6年政変後は決して就官に応じようとしなかった副島も、「天皇の師」には心が動いたのだろう。君徳輔導に意欲的であった副島は、定められた進講日だけでなく、日々参内して天皇の側に控えていたいと申し出た。結果的には受け入れられなかったが、こうした副島の言動に伊藤博文は不安を抱き、岩倉に「将来の処実に杞憂を堪へず」と伝えている。(「伊藤博文関係文書」)』(「副島種臣」佐賀城本丸歴史館)

明治を代表するレベルの漢学と皇学(皇法)の学識を誰もが認めていたわけですが、もっとも彼を高く評価していたのは明治天皇でした。

その後、黒田清隆と伊藤博文が副島侍講排斥論を主張したとき、明治天皇は

「副島は、維新以来西郷大久保木戸伊知地同等の人物、当時天下人望のある処なるを以て挙げて之を用ゆ」(同書)と言って、黒田らの三度にわたる上奏を退けています。天皇が如何に副島伯を信頼していたかがよくわかるエピソードです。