明治6年2月、副島翁は特命全権大使として清国に差遣され、日清修好通商条約の批准を交換。清国皇帝に謁見します。この年副島翁は西郷隆盛翁の紹介で、古神道家である本田親徳翁と出会います。本田親徳翁(1822-1889)は、その生涯を通して皇法・鎮魂法・帰神術・審神者の法を確立、副島翁をはじめ多くの門弟を指導されました。
『霊学中興の祖とまで云われたる本田親徳翁は、文政六年鹿児島藩加世田の典医の子として生れられ、通称九郎と云い、幼時より漢学と剣道を修業せられた。天性俊敏気魄に富まれ、十九才にして大志を抱き郷関を出でらるるや、当時天下に令名高き水戸の碩学、会沢正志の門に入られ、学ばるること数年、其の後専ら皇漢の書を研鎮し、其の古典を深く考究するに従い、深遠玄妙の境地に思を致され、必ずや宇宙は霊的作用によるに違いなしと推断された。たまたま京都に在府されたる時、霊が幼児に憑依して人語を語るのを見ていたく感動され、深く悟る処があられた。
爾後名誉も地位も弊履の如く擲(なげう)って、此等の霊的作用の 研究に従事さるること四十年。其の間深山幽谷に入り、或は全国の名ある神社霊地に参篭して神霊に感合するの道を求められた。其の間の御苦労は言語に絶するものが有ったに違いないが、遂に中世より途絶せるままの我国古来の帰神術を体得され、神伝により幽冥に正神界、邪神界等の別ある事、神界に其の階級、亦憑依せる霊に種類及上中下の品位ある事、それらを判別する重要な「審神者の法」及びなお邪霊を縛ばる処の「霊縛法」の法則等をも明かにして、「秘書」を作成せられ、ここに神霊学の根底を確立せられたのである。』(「本田親徳研究」鈴木重道著)
副島翁は長沢雄楯翁と共に本田翁の皇法と幽斎を受け継ぐ大変才能豊かな方でした。
本田翁との「真道問対」をはじめ「蒼海窓問答」「蒼海窓閑話」「蒼海窓雑話」など古神道に関わる優れた文献を残されています。