明治35年御製です。
ちはやぶる 神のまもりに よりてこそ
わが葦原の くにはやすけれ
葦原とは葦原中国(あしはらのなかつくに)の意で、高天原と黄泉国・根之堅洲國の間にあるとされています。
それで中国(なかつくに)というわけですが、次元としては私達のいる顕界を指します。
古神道では、幽の幽(別天津神の世界)、幽の顕(天津神の世界)、顕の幽(国津神)、そして我々のいる顕の顕の4層に分けて考えられています。これには3つの意味があります。
まず時間的な視座から。これは宇宙開闢の歴史として、無、無の揺らぎ、インフレーション、ビッグバン、そして現在の宇宙ができるまでを4段階に分けています。
もうひとつは、空間的な視座からの分類です。幽の幽は宇宙の全てを網羅する働き、幽の顕は太陽系のような恒星系全域での働き、顕の幽は惑星と衛星の範囲での働き、顕の顕は惑星(例えば地球)単体での働きになります。
前述の高天原と葦原中国、黄泉国・根之堅洲國の3層は、高天原が幽の幽と幽の顕に対応し、葦原中国が顕の顕、黄泉国・根之堅洲國が顕の幽に相当しますが、この分類は説神理つまり比喩としての説話です。なので古神道ではあまり真剣に検討されません。本居宣長と平田篤胤は死後の世界をどう考えるかで意見を異にしていましたが、神道では明確な結論を出せませんでした。
従って、記紀にあるひとつの異界論として受け止めればいいかと思います。
この御製では、葦原を古学としてあまり難しく考えずに、この世界と理解したいと思います。
「わが葦原のくに」とありますが、これは王政復古の大号令にある「諸事、神武創業之始ニ原キ」に基づき、神武天皇の詔勅にある八紘爲宇を意識するならば、日本だけでなく世界全体の平和を願われたともとれます。明治時代も今も、国際社会の中で一国だけの平和は望めないからです。