明治35年御製です。
やすからむ 世をこそいのれ 天つ神
くにつ社に 幣をたむけて
明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「平和な世の中をこそ、わが心をつくして祈ることだ。天つ神、国つ神を祀るやしろに、お供えものを献げて」
明治天皇は当初宮中祭祀にとても熱心でしたが、明治31年以降は代拝率が86パーセントになっています。これは皇室祭祀令で大祭とされた祭祀の内とくに重要とされた新嘗祭などの8祭祀について集計した結果です。30年までは代拝は御病気などで年に1度か2度でしたので意外に思いますが、切っ掛けは日清戦争にあったという説があります。
明治27年、明治天皇は宮中祭祀を行わないとの意思表示をされました。そして伊勢神宮への開戦の奉告祭も、さらに終戦の奉告祭も天皇御自ら御親拝されずに勅使派遣にとどめています。
天皇陛下は日清戦争を望まれていなかったのでした。その為、「神明に申上候事は憚るべし」と仰せになり、賢所での祭祀を行わないことで御意思を示されたのです。この時は周囲の説得により翻意されたのですが、平和を愛する大御心に周囲も心打たれたことでしょう。
では明治天皇は敬神の思いが薄れてしまったのか、と言えばそうではありません。
昨年とりあえず1863首の御製を年代別に並べてみたのですが、神を詠まれた御製は明治35年以降に増えています。つまり代拝率は上がっても、敬神の思いはより強くなられたかのように思われます。