明治36年の御製です。
豊年の 新嘗祭 ことなくて
つかふる今日ぞ うれしかりける

明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「稔り豊かなこの年の新穀を神々にお供えする新嘗祭。一年の農事が何の障りもなく例年どおり豊作で、今日の御祭りを迎えたことはまことにうれしい限りである」
日本は豊葦原の瑞穂国ですから、古来稲作を行っています。
しかしながら年によっては異常気象等もあり、常に豊作とは限りません。
なので飢饉になって人々が苦しむことも多々ありました。
明治天皇は、敬神の念厚く常に神に祈られる方でした。
新嘗祭とは、神と共に新穀を祝う直会の神事であり、皇室にとって最も大切な神事でもあります。
前日の鎮魂祭と新嘗祭によって天皇の霊力は神によって高められます。そして新嘗祭では、天皇は神と共に新穀を食し、邇邇芸命の天孫降臨の神話に倣いながら、神人合一を体験します。日本の中心力でもある明治天皇の霊力が増すことは、皇国の弥栄を支える基盤を強めます。我が国の危機に際して、神の加護を得られたと感じられたことでしょう。
この「ことなくて」ですが、無事に新嘗祭を迎えられたという意味は二つあると思います。
まずは上記の通り、豊作に安堵されたこと。
そして新嘗祭の時点で、ロシアとの戦いが起こらなかったこと。
この両方の意味で、天皇はホッとされたのだと思います。
日露戦争の危機が迫った情勢下、超大国相手の厳しい総力戦が予想されていました。
歴史的に交流が深い中国とは違い、ロシアは異文化の民族であり、負けた時にどうなるかもわかりません。西洋史を見てもキリスト教国同士の戦いと、キリスト教とイスラム教との戦いでは、凄惨さや被害等かなり様相が異なります。明治天皇も天壌無窮の神勅を意識した時、国民の生命や国体の存亡を賭けた戦いは可能な限り避けたいと思われたことでしょう。