
「玉くしげ」(本居宣長)でも、
「まことの道は、天地の間にわたりて、何れの國までも、同じくたゞ一すぢなり。然るに此道、ひとり皇國にのみ正しく傳はりて、外國にはみな、上古より既にその傳來を失へり。それ故に異國には、又別にさまざまの道を説て、おのおの其道を正道のやうに申せども、異國の道は、皆末々の枝道にして、本のまことの正道にはあらず、たとひこゝかしこと似たる所は有リといへども、その末々の枝道の意をまじへとりては、まことの道にかなひがたし。」
と、同様の見解を述べています。
つまり尊いのは、正しい「道」(神の道)を伝えているが故に尊い国だという事です。
「天照大御神は、その天をしろしめす御神にてましませば、宇宙のあひだにならぶものなく、とこしなへに天地の限をあまねく照しましまして、四海萬國此ノ御徳光を蒙らずといふことなく、何れの國とても、此ノ大御神の御陰にもれては、一日片時も立ことあたはず」(「玉くしげ」)
此の御徳光ですが、万国にあまねく照らし給うとはいえ、神の道が伝わっていないので、或いは失ってしまったので、神意に合った祭祀が行われていません。そこに大きな問題があり、神に通ずる事も出来ず、高徳な政も行われて来なかったということになります。
鎌倉時代に制定された御成敗式目に、次のように書かれています。
「神は人の敬ひに依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添ふ」
つまり敬神と真摯な祭祀が、神の働きを増すということです。
神を祀らない外国との違いはここにあります。