
『宣戦の詔書が公布された直後、そのことを伊勢神宮や孝明天皇陵に報告する勅使の人選を、宮内大臣が天皇に相談します。その返事が驚くべきものでした。
「その必要はない。自分はそもそもこの戦争には反対だったが、皆が開戦は避けられないというので許しただけだ。それゆえどうして先帝らに報告できるか」
宮内大臣は驚き、「天皇自らが宣戦を布告し、戦争はもう始まったのです。今になってそれをやめることなどできない」と、天皇を諫めようとした。しかし「二度とお前には会いたくはない」と逆鱗に触れてしまった。』(「明治天皇を語る(新潮新書)」)
明治27年(1894)日清戦争が起こります。明治天皇はもとより開戦に反対していました。しかしながら政府の決定を覆すことは出来ません。そこでやむなく宣戦の詔勅ということになりました。確かに国の基礎をつくろうという時期でしたし、憲法発布からまだ5年、国力も充分ではありません。他国との戦争などとんでもないと思われたのでしょう。
「今回の戦争は朕素より不本意なり。」
普通なら「困った時の神頼み」となりそうですが、天皇は勅使の派遣すら同意しませんでした。天皇はもとより平和主義者であり、神々そして皇祖皇宗に対し、神勅を守り続けることを誓われています。
清国との戦争はアジアの国同士の戦争であり、勝敗に関係なく、両国共に国力を損ないます。本来ならば、アジア各国が欧米列強から独立し、民族の誇りを取り戻すことが望まれるのに、なぜ戦わねばならないのか、そう思われたのかもしれません。
結局清国は日本に負けたことで、ロシア・フランス・ドイツ・イギリス等によってなかば植民地のような状況になってしまいます。
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