明治37年の御製です。
仇波の しづまりはてゝ 四方のうみ
のどかにならむ 世をいのるかな

「仇波」はいたずらに立ち騒ぐ波のことです。
これも日露戦争の年に詠まれたもので、天皇の平和を祈る大御心が窺える一首です。
日本は島国であったため、元寇はありましたが、歴史を遡っても外敵からの侵略は他国と比べても少なかったわけですが、技術の革新により他国の海軍力が我が国を凌駕する時代になりました。
もはや日本の安全を守るのは至難の業でした。
そこで五箇条の御誓文にある「智識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起󠄁スヘシ」ことが求められたわけです。そして天皇の指揮のもと、日本は世界から広く深く学び、短期間に急成長を遂げました。
明治22年に大日本帝国憲法を制定し東アジアで初めての立憲君主国家になり、23年には帝国議会を開設し、近代国家への道を順調に歩みました。
明治27年の日清戦争でも国家の存亡を賭けて戦いましたが、清国の国力が弱りつつある時期でしたので、早期に終戦を迎えることができました。
日露戦争については何度も映画になっているので、その成り行きも広く知られるところですが、日清戦争については詳しく知っている人は少ないようです。
清国の陸軍戦力は日本の4倍の兵力でしたし、海軍についても日本の軍艦28隻・水雷艇24隻に対し、清国は軍艦82隻と水雷艇25隻(日清戦争に参加したのは軍艦25隻、水雷艇12隻)という戦力でした。もしも清国海軍が総力戦を挑んできたら、3倍の軍艦を相手にしていたわけです。
数に勝る清国になんとか勝つことが出来ましたが、それでも13,800人の戦死者を出しました。(清国は35,000人)天皇のご心痛はさぞや大きかった事と思います。
その痛みがまだ癒えない内に新たに、元寇以来の最大の危機が訪れたのです。
当時の超大国ロシアとの戦争です。
人事を尽くして、平和を祈る。
旅順攻略、日本海海戦、その報を日々聴きながら、天皇は平和を祈り続けました。
そして、ついに日本の勝利の日を迎えることができたのです。