明治37年御製
いにしへの 御代の教に もとづきて
ひらけゆく世に たゝむとぞ思ふ
明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「遠い昔の御代の聖賢の教えに基づいて、新しく開けてゆく世の生き方に対処してゆこうと思う」

(続き)
本に限らず、過去の文書や情報が読めなくなると、自国の蓄積した文化を継承するのが困難になります。これは形を変えた「焚書」と言えるかもしれません。
図書館情報学用語辞典によれば、焚書とは
「書物を焼却すること。特に,書物に記された思想を禁圧し,その流通,伝播を抑止する目的で,為政者,権力者が公開の場で当該書物を焼却する行為,儀式.秦の始皇帝の焚書坑儒(前213)以来,ナチスドイツの焚書(1933),中国文化大革命の焚書(1966)にも見られるように,歴史的にほとんど途絶えることなく続いている思想・言論の弾圧・統制手段であり検閲・禁書の極端な形態である。書物が大量に安価に生産される時代にあってはすべてを焼却することは不可能であるが,弾圧・統制の象徴的な意味を持って行われる」とあります。
つまり焚書とは、時の政権にとって不都合な思想や歴史事実、文化などを途絶えさせるのを目的とした政策だったと言えます。
では、今の中国はどうでしょうか。
共産主義化した中国は漢字を廃止するため、その第一段階として簡体字(簡化字)を考案しました。