
仏教を信仰する聖徳太子と蘇我氏が敬神派の物部氏一族を亡ぼしたことで、その後明治維新まで仏教が神道を支配してきました。神仏習合とは日本人の寛容さによるものという意見もありますが、ならなぜキリスト教など他の外来宗教を弾圧したのでしようか。
中世の日本では、神社の境内に寺院(神宮寺)が作られ、神前に仏像を置いて僧侶が読経するなど、神道への弾圧が徹底的に行われました。さらに「日本の神は仏に救いを求めて帰依した」とか「神道の神々は仏の化身として日本の地に現れた」等々、教義的にも蔑まれました。弾圧された神道側の苦悩は計り知れません。唯一、伊勢神宮では仏教を穢れとし、ほぼ完全に締め出すことができましたが、その代償としてか、明治まで天皇の参拝は途絶えます。
もしも、寺院の境内にキリスト教の教会が作られ、神父が本堂の仏前で賛美歌を歌ったり、ラテン語で祈りを捧げたりしたら、僧侶達は「日本人の寛容さ」を以てそれに喜んで従うでしようか? 仏教による神道への弾圧はそれと同じことです。
「王政復古の大号令」(1868年慶応3年)の「諸事 神武創業之始ニ原キ」に基づき、鎮祭の詔、大教宣布の詔、そして神仏判然令(1868年明治元年)の布告により、ようやく神道の純化が始まりました。神社から仏教色が一掃されるにつれ、長きに亘る仏教支配から解放されたのです。ですが喜んだのもつかの間、今度は政治によって振り回されることになります。
結局、神仏習合も、明治以降の神道政策も、政治家達の思惑によるものであり、仏教や神道のせいではないように思います。