
最終案の作成に際して天皇は、五箇条の御誓文の文面を冒頭に記すように求められました。五箇条の御誓文は明治天皇によるものなので、内心案じておられたようですが、GHQの了承も得られ、やっと文面が確定しました。
しかしここで大きな問題が起こります。
天皇が五箇条の御誓文を書き加えられたにもかかわらず、誰か(政府関係者)の手でこの五箇条の御誓文が削除されたのです。
ギリギリのタイミングでこの事実を知った天皇は、再度書き加えるように強く指示を出されました。この経緯については昭和63年9月29日付の読売新聞に掲載されています。
いったい政府の誰が天皇の意思に反して文面を書き換えたのでしようか。
これも「面従腹背」の実例なのかもしれません。
昭和天皇は昭和52年の記者会見で次のように仰っています。
「神格とかそういうことは二の問題であった。(中略)日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すために。あれを発表することを私は希望したのです。」