『明治天皇の死後間もなく、天皇のことを最もよく知る人々が天皇の回想を語ることを求められた 。誰もが天皇の簡素を旨とする信条、天皇の並外れた記憶力、天皇の他人に対する思いやりについて語った。しかし彼らの回想は、なぜか一人の人物の肖像を描き出すまでには到っていない。理由は恐らく、政治家で外交官の牧伸顕が当時語 った次の言葉にあるのではないかと思われる。
「陛下は公の天職を御尽しになる御資格の外は、殆んど御自分様即ち私と云ふ側面はないのである。又御物好みと云ふこともあらせられぬ。例へば、先帝の御住居と云ふのは、貴族の夫れと選ぶ所はなく、寧ろ一層御質素で ある。単に御用を達するに過ぎぬ。御旅行をなさるゝにも、決して御慰みの為めとか御楽しみの為めになさるのでなくして、必ず国家の御用の為めになされたのである。土工を御起しになつても、御自分様の御好みより出でたものはなく、皆な国家の夫々の必要上からなされたので、或は外客の接待に要するとか、或は天職を御尽しになる必要から起つた公の建物の外は、御許しがなかつたのである。又御用品と雖も、御好きで御買上げのことはなく、何れも殖産興業の奨励の為めとか、美術を保護する為めとか、凡て公の大御心が動機となつて御用ゐになつたのである」』(「明治天皇」下巻・ドナルド・キーン著)

明治天皇が国民から尊敬され、敬愛されていたのにはこのような理由があったのです。