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大和心

第365回 祓祝詞を考える―9

著者:小山一夫 / 公開日:2024-03-02

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

古神道の視点から、祓祝詞を考察します。

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「伊邪那岐大神」

「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」では、

①「神代七代の最後の神」、②「伊邪那美の命とともに大八洲の国をはじめ、山川草木や万物を司る神々を生む」、③「黄泉の国を訪れた神」、④「天照大神・月読尊・素戔嗚尊を生んで、治めさせる国々をお決めになった神」と説明している。

だが古事記では、①伊邪那岐神、②と③は伊邪那岐命、④伊邪那岐神と表記している。

すべてが同じ神ならば、なぜ伊邪那岐神あるいは伊邪那岐命に統一しなかったのか?

それとも、表記を変えるべき理由があったのだろうか。

これは「神とは何か」を考える上で極めて重要な論点になるにもかかわらず、これまで全くと言っていいほど無視されてきた。それは信仰という曖昧な世界に神道を閉じ込めてしまった神道家達の責任でもあろう。

「古事記神理解」で本田翁は次のように述べている。

『伊邪那岐伊邪那美神ト有リテ、此ニ至リテハ命トアリ。命ハ体異体別ノ義也。天地万物各自其ノ体ノ異ナルヲ謂フ。神ヲサシテ命ト云フトキハ現体アル也。此ノ神幽界ヨリ現界ニ出給フ処ノ証ナルモノ、而シテ此ノ神ハ幽界ニ在テハ五魂ヲサシタル名ナルコトハ前章既ニ之ヲ云ヘリ。此ノ所ニシテハ天地衆星ヲ混同シタル物ノ気ト体トヲ併セテ称へ奉ル所ノ御名ナリ。』

つまり『命』とは『体異”ミコト”』『体別”ミコト”』の意味であり、神と命では、その働く世界(次元)が異なるということだ。

出口王仁三郎著 「善言美詞・祝詞解説」(以下「善言美詞)では「神伊邪那岐命」として「神」と「命」を混在させている。長沢翁のもとで学んだ日数が僅かだったため、これはやむを得ないことかもしれない。