以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。
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「禊ぎ祓へ給ひ」
「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」では、「[身の罪や穢れを]水に漬かって洗い清め、[災難などを]除き清めなさった時に。」と説明している。
「善言美詞」では「ミは身体、物質界の意、ソギは濯ぐの意である。すなわち身体、物質界等の大掃除、大選択のこと」
禊といえば、川や滝などでの水行をイメージするが、本田翁はそのようなことは一切指導されなかった。その辺りも禊の行法を体系化した川面凡児氏と異なる所だ。
禊の対象は心と霊魂に他ならない。心には心を、霊魂には霊魂を以て祓いをなすべき。
仏典サンユッタニカーヤに「水を必要としない沐浴」とあり、また荘子内編にも「心の斎み」という言葉が出てくるが、水行等ではなく心斎が大事という考え方には、相通ずるものがある。
本田翁は幽の祓いを最も重視していた。
どんなに水をかぶっても霊魂の祓いにはならないという事なのだろう。
「霊を以て霊に対する」という原理原則は、全てに通じるものだからだ。
「霊学は心を浄くするを以て本と為す、故に皇神、鎮魂を以て之を主と為す。百姓尊奉(カバネ)して日々に真心を練るべし。」(本田親徳「道之大原」)
「幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す」(「道之大原」)