以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。
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「祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと恐み恐みも白す」
「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」では
「それらを除いてくださり清めてくださいと、[祓え戸の神々に]申し上げることを、[祓え戸の神々は] お聞き入れくださいと、恐れ多いと思ってる[祓え戸の神々に]申し上げる。」と訳している。
「善言美詞」では「人は宇宙経綸の重大任務をおびたるものであるから、先頭第一に身魂を磨き、そして正しい「言魂」を駆使すれば、天地もこれに呼応し、宇宙の大修祓も決行される。その際にあって吾々は、小伊邪那岐命の活用となるのである」、「何人も朝夕これを奏上して先ず一身一家の修祓を完全にし、そして一大事の場合には天下を祓い清める覚悟がなくてはならないのであります」とある。
如何に言魂を駆使するか、如何に天地を呼応させるか、その点が最も重要だと思う。
本田霊学の審神者として、熱田神宮や諏訪大社など多くの神社で祓いを目的とした公式幽斎を行った佐藤卿彦翁は、常々「信仰は必要ない」と仰っていた。
佐藤翁の著書「顕神本田霊学法典」に、
「此の書を鑑るものは、宜しく自らその神法を厳修し、親しく神明に感合して神霊厳存の事実を確認し、幽妙の境に到達すべく切角努力研鑽せんことを希うものである」とある。
「神霊厳存の事実を確認」すれば、「信じること」を要求する必要はない。本田翁も神伝秘書にて、「幽斎ハ宇宙ノ主宰二感合シ親シク八百万神二接ス、其ノ修シ得ルニ至テハ至大無外、至小無内,無遠近、無大小、無広狭、無明暗、過去卜現在卜未来ト問ハズ一モ通ゼザルハナシ。是即チ惟神ノ妙法常二服鷹スペキモノアリ」とある。
幽斎によって神に直接接し、神主自らを神籬として神の祓いを実現する、それが本田霊学の祓いであり、故に佐藤翁は「信仰は必要ない」と話されたのだ。