以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『皇が親
皇は、皇(スメラギ)、神界に於いて神々を統べる大元霊
親は、総てのものを睦み合わす方を持つ親神を云う。
皇が親とは、天御中主神の御事を申す
神漏岐 高皇産霊神 去来地気(イザナキ)・伊邪那岐、神光
神漏美 神皇産霊神 去来地体(イザナミ)・伊邪那美、神温
(両者合わせて)生成化育の産霊の神』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
(注)「読み方」では、皇とは「天皇」を、親とは「睦まじいさま」を意味するという。次の神漏岐神漏美までを合わせて「皇祖神(=皇室の先祖の神)」としているが、それでは皇御孫命をはじめ八百万の神の一部も含まれてしまう。次の「命を以ちて」の主語ならば、「皇が親神漏岐、神漏美」とは本田翁の言うように「天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神」の造化の三神が適切であろう。
また「皇が親神漏岐、神漏美」を「皇室の先祖の、仲睦まじく親しい男の皇祖神と女の皇祖神」と訳している。神に性別はないのに、どうしても男女の関係に結び付けたいようだ。これは「神とは人也」(新井白石「古史通」)という説の影響だろう。これは特異な思想ではなく、残念なことに比較的広く採用されている。我が国の造化の神を、聖書のような造物主としてとらえている要素も窺える。つまり神とは何か、この最も基本的な部分で大きな間違いを犯しているために、神道全体を誤った方向へ誤解させてしまった。