以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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本田翁は、神は人ではなく、聖書の神のような人格を持った造物主ではなく、宇宙そのもの、そしてその法則と説明している。つまり造化の神の意。
本田翁の学則に曰く、
『神ノ黙示ハ則チ吾俯仰観察スル宇宙ノ霊体カノ三大ヲ以テス。
一、天地ノ真象フ観察シテ真神ノ体ヲ思考ス可シ。
一、万有ノ運化ノ豪差無キヲ以テ真神ノカヲ思考ス可シ。
一、活物ノ心性ヲ覚悟シテ真神ノ霊魂ヲ思考ス可シ
以上ノ活経典有り真神ノ真神タル故由フ知ル。何ゾ人為ノ書巻ヲ学習スルフ用ヰン哉。唯不変不易ノ真鑑実理アル而己。
体トハ則チ物体ニシテ化学ノ所謂元素之ナリ。
カトハ則チ運動ノカニシテ、地球ノ大陽ヲ一周シテ春夏秋各ヲナシ、地球ノ自転シテ昼夜ヲ為ス等皆カノ処為ナリ。
霊トハ則チ神也。吾人ノ霊魂亦之二属ス。』
つまり本田翁は、文明開化の明治時代に神をこの様に理解していた。迷信めいたお伽話や、「神とは人なり」とする新井白石などとはその根本から立ち位置が違う。
(注)「祝詞用語表現辞典」では、「神がいらっしゃる。鎮座する。『つまる』はとどまる、鎮まるの意」とある。
(注)「祝詞新講」では、「神留座す」を「カムトドマリ」「カムヅマリ」の二つの訓で説明している。前者は「天孫がこの国土に降臨し給うたのに対して、高天原に留まり坐す神の意を表すものであると解き、重胤は後の意によって、神霊が宇宙に充満し給う意であると解いている」これは宣長の説に従うべきである」とする。
(注)「善言美詞」では、「神留座す」を「無限絶対、無始無終に神が実在し給い、陰陽水火二元の活動が全宇宙的に充満されている」とする。