神道と日本の記事一覧

大和心

第411回 本田霊学の継承-2(3/4)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-06-25

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

〔註一〕高窪良誠談話=高窪良誠は大宮市東町に住み、氷川神社氏子総代にして、中大理工学部教授(全集巻末記に日大教授は誤り)たり。夙に佐藤卿彦の門に学び幽斎に参じ多くの神教に接した。昭和四十五年歿。

この後先生は愈々修業を深められ、郷里鹿児島に帰られて帰神の術を磨かれて己に名声を得ていましたが、その証拠として明治三年(四十八才)三島通庸著の石峯神社創建の記事中に、嘱せられて神憑によって不明たりし古来の祭神を識る旨記しているので、当時已に帰神の正法を確立していたと信ぜられるのであります。先生の上京はその翌々五年かと推定せられますが、この年父主蔵死去され家督を相続いたして居ります。

前にも記しました通り同藩の誼ある西郷隆盛の紹介によって、外務卿副島種臣と親交を結んだのは明治六年の頃と考えられますが、この両傑が大西郷によって、後に斯道の師弟となる縁が結ばれたことは実に感慨深いことに思われます。この両者の間に交された「真道問対」は本田霊学の主要文献の一つとして重視せられて居ります。副島種臣はその後明治の元勲として天皇の御信任特に厚く、一等侍講として仕え奉り、又政府の要職を歴任して伯爵を賜わって居りますが、その後三十一年十二月佐々木哲太郎輯録にかゝる「蒼海語録」(別名蒼海窓問答)は伯の思想哲学の代表文献として重要なものであります。「真道問対」を隔たる十五年の後に成稿したもので、この両書の対比によって霊学継承の一面が明らかになると思われます。依って本篇の第一章に「本田親徳と副島種臣」を置き、第二章に「本田親徳と長沢雄楯」とし、添うるに主な同門に触れ、続いて長沢翁の事績とその門下とに就いて順次筆を進めたいと思います。』(『本田親徳研究』)