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大和心

第415回 本田霊学の継承-4(1/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-06-27

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『第一 章 本田親徳と副島種臣

(イ)副島種臣略歴

副島種臣は佐賀鍋島藩士、文政十一年九月九日藩校弘道館教諭枝吉忠左エ門彰種の二子として生れた(本田親徳より九才後)天保三年五才初めて学に就き、父南濠より四書及び百家の素読を授けられた。その経歴を瞥見すると、

O嘉永元年(二十一才)弘道館の内生寮首班となり、楠公を崇敬して義祭同盟を結ぶ。

O嘉永五年(二十五才)藩命によって京都に留学し皇学を研究、諸藩の志士と交り日本一君論を鼓吹する。

O安政二年(二十八才)重ねて京都に留学。

O安政五年(三十一才)兄経種(神陽)の意を承け勤王討幕運動に奔走した。神陽は識見高達藩学の長者として上下の信望を博し殊に大義を説き大隈、大木、江藤等藩当代の俊秀は皆その門下に出でた。種臣帰藩後間もなく安政の大獄起る。

O安政六年(三十二才)副島氏を嗣ぐ。父枝吉南濠歿す。

O元治元年(三十七才)長崎に遊学、アメリカ宣教師フルベッキにつき英学を学び大いに識見を高めた。慶応二年まで滞在した。

O慶応三年三月(四十才)幕府に大政奉還を説くために大隈重信と共に脱藩上京したが、 五月送還されて謹慎を命ぜられる。

以上幕末まで志士として活躍して諸藩有志の間に重きを為していたことを知る事が出来る。そして彼が壮年国事に奔走していたこの間は、本田親徳は霊学研究に専念して帰神の正法を確立した頃であった。明治以后の副島略年譜を見ると、