『卿は復古の功臣なるを以て朕今に至て猶其功を忘れず、故に卿を侍講の職に登庸し、以て朕の徳義を磨くことあらんとす。然るに卿が道を講ずる日猶浅くして、朕未だ其教を学ぶこと能はず。比日来、卿病蓐に在て久く進講を欠く。仄に聞く、卿侍講の職を辞し去て山林に入んとす。朕之を聞て愕然に堪へず。卿何を以て此に至るや。朕道を聞き学を勉む、豈一二年に止まらんや。将に畢生の力を場さんとす。卿亦宜く朕を誨へて倦むこと勿るべし。職を辞し山に入るが如きは朕肯て許さゞる所なり。更に望む、時々講説、朕を賛けて晩成を遂げしめよ。
維新の功臣として遇し、今後も侍講として自分を教え導いて欲しい、という宸翰を受け取った副島の感激は想像に余りある。副島は、四月二日に参内して天皇に拝謁し、二十日から進講を再開した。』(「副島種臣」佐賀城本丸歴史館)
とあるように、明治天皇が副島翁に「宸翰」を下賜した事実にも驚くが、それは副島翁に対する絶大な信頼の顕れといえるだろう。
副島翁は「山林に入んとす」とあるように、静かに書の道を究めたり、また官職を離れ本田霊学の修行に専念したかったのかもしれない。もちろん、くだらない政争に巻き込まれたくなかったのもその一因であったと思われるが、いずれにせよ天皇が副島翁の辞意を聞いて「愕然に堪へず」と言うほどに重き存在であったことは疑いない。