しかし、調べれば直ぐにわかるようなことを、なぜ横山氏は全く確認もせず断定的に書くのだろうか。佐藤先生も副島翁について、漢学を始めその知識は広範にわたり、当時を代表するような碩学のひとりだったと仰っていた。人格的にも、明治天皇が言うように西郷などに並ぶ偉人だったと思う。故意に清貧を尊ぶのでもなく、自然な姿で皇と公のために尽くす。その生き様は、明治の元勲達が懼れるほどであったという。(黒田清隆と伊藤博文による副島侍講排斥論など)
清国の李鴻章をして感嘆せしめた漢詩は、翁の深い漢学の素養に基くが、それが外務卿としてどれだけ役立ったことか。そしてこの漢学の素養がなければ、天皇の侍講として側近になることも叶わなかったであろう。明治天皇と皇后に毎週、侍講として漢学(大学・中庸・尚書)を進講していたほどだから、漢学の造詣が深いのは周知のことだが、天皇は副島翁の博学さだけでなく、その人格を高く評価していた。
本田翁が産土神徳講義を対機説法で説かれたように、副島翁が蒼海窓問答をどのような状況・背景で、誰に対し語られたものかを知る必要があろう。相手が漢学に詳しければ、その語句を使って本田霊学を説こうとしても不思議ではない。
同時期に書かれたと想われる「蒼海窓閑話」や、その3か月後の「滄海窓雜話」を、横山氏は読まれたのであろうか。もしも手に取られていたら、軽々に「真に本田霊学を理解していたとは思われない」とか、「本田霊学の名を借りた副島翁の自己主張の書である」などとは言えないだろう。
さらに「副島翁は未だ霊肉分離の境地に達していたとは到底考えられない」というが、何を根拠にそう主張されるのか。筆者の知る限り、佐藤先生は副島翁についてそのような評価をされたことはない。