以上の解説の中に「神に本霊・末霊の違い在り」。と在るのは、神伝秘書 「審神者の覚悟」として「一、神の上中下の品位を知らずばあるべからず」の事を申して居るもので上位の神は下位の神を知って居られるが、下位の神は上位の神の御事を知ることは不可能であるのが神界の組織で、是は神界の掟でもあるとの意である。
「神問しに問し賜う」事は、神の道(神意)に背く者があれば、是を言趣(コトム)け和(ヤワ)らげる事が行なわれて居るもので、神には霊・力・体の中、霊力は 有っても体が無い為、現界に居る人(霊止)が神意を受霊して諸々の事を実現させなければならない訳である。 即ち神意を受霊するだけの霊力を祈願致す人が持って居なければならない訳である。
鎮魂法で己の魂を磨き、霊力を向上させる必要が此処にあるものと承知願いたい。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
(注)「読み方」では、「乱暴する神々に対しては[なぜ乱暴な行為をするのかと]神のお尋ねとしてお尋ねとしてお尋ねになり」。
(注)「善言美詞」では、「神問しに問し」を「神の御会議」
(注)「祝詞新講」では、「問わし給うのは、中つ国にいる大国主命を始め、多くの荒ぶる国つ神に向かって、帰順し奉るか否かを説い給うた意である」。
「祝詞新講」では、大国主命を荒ぶる神の中に含めているが、それが妥当なのか疑問である。訳者の発想として、国津神=荒ぶる神という図式が既定路線として前提になっているため、このような理解になっているようだ。本田霊学では、そのような考え方は採らない。