「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。


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『小河が「其議論卓絶明了」と、副島の学識の深さを評価している点については他の人々と同様であるが、他者が副島の漢学に対する知識の深さを評価していたのに対して、小河は国史、国学への教養の深さを評価していた。前述したように副島は、霊学研究者本田親徳と交流し、副島が質問し本田が答えた内容を「真道問対」、「滄海窓問答」に見ることが出来る。
また、副島が語ったところとして「蒼海窓閑話」、「滄海窓雑話」が残っている。これらの内容は難解で容易には理解し難いが、記紀に登場する神々になぞらえて話を進める場面が多く、副島が国史そして神道に対する知識が豊富であったことを知るには十分である。小河が修史局副総裁、教部卿にと推挙したことも頷けよう。小河は、皇統に対する意見が一致したのみで副島を推挙したのではなく、国史、神道への造詣の深さ故に再三にわたって副島登用を訴えたのである。
副島は、侍講となって天皇に「大学」や「中庸」を進講するなどしたため、時に漢学者と語られることもある。勿論、漢学の知識についても他者に抜きん出ていたといわれるが、常に国史、神道に重きを置いていた。そして、「御用滞在」という名目で東京に留め置かれる日々の中で、副島は本田や小河との交流に見られるように、神典の研究に勤しんでいたのである。』(「副島種臣と明治国家」)
つまり副島翁は、世に秘して霊学を学んでいたわけではなかったということだ。本田翁から学び得た皇法、鎮魂法、帰神術は、あの激動の時代に、翁にとって信念の支柱となっていたに違いない。