「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。


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『(二)長沢雄楯
本田霊学の継承者と云うべき長沢雄楯は安政五年(1858)八月八日清水市に生れた。長沢家は三河長沢の城主松平家の庶流で、近江守政重を初代とする家系の第十三代に当るので佐藤卿彦著「鎮魂法帰神術の神法」に左の如く記して居ります。
長沢家十三代の雄楯翁は、資性殊の外聡明にして、温厚な人柄であった。翁は十二才にして藩立学校に入り、始めは漢学を学び、後明治五年静岡の浅間神社内に中教院が設けらるるに及び、これに入って専ら国学を修め皇学の研究にいそしまれた。明治七年よく十七才の若冠を以て、抜擢せられて同院和漢学の助教となり、又御穂神社の祠掌を申付けられた。之より雄楯翁は愈々敬神の信念一段と高まり、又御穂神社々司にして宮中御歌所寄人であった葉若清足氏に就きて、皇典の研究に揮身の努力を傾注せられた。
更に神霊学に就ては、前代未聞の大家たる本田親徳翁の門に入り、神典国史を根拠に、専ら神懸りの古法につき研鍛修業を積み、遂に神霊の厳存せる事を認証してその尊厳を体得せられたのである。かくして玆に解明せられた法則により、幽遠にして微妙なる様相などをも明確なる理論を以て解説せられ、集まる子弟をよく誘掖(ゆうえき)啓発し、また自ら実践指導され、よく人としての大道並びに徳性の涵養に努められた。