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大和心

第489回 本田霊学の継承-31(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-08-13

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

翁は県社御穂神社の社司を奉ずる傍ら、自己の主管する月見里神社(又の名御笠稲荷神社)が神懸りの司神たる天宇受売大神を奉斎せる我国最古の社であるので、これを総本部として、神霊学を基に、明治二十四年県の許可を得て御笠稲荷講社を設立されたのである。爾来翁は神霊学に精進没頭されること五十余年その間昭和五年には県下神職としては唯一人、今上陛下に拝謁被仰付けられるの光栄に浴された。又翁は御穂神社を初めとして、清水市とその近郊にある三十数社を統轄してそれらの興隆に力を致されたので、旧態を一変して今日の隆盛を迎うるに至ったのである。

昭和十五年(1940)十月十日、翁の容態急変の報に、筆者は取るものも取り敢えず直ちに枕頭に馳せつけた。山田医師の万全を尽せる手当の反応もなく、御家族門人等の憂愁の裡に、安らかな永遠の眠りにつかれ神上りされた。時正に午后二時五十六分。享年八十三歳。御年に不足なしとは云え、傑出せる神霊学者を亡いたるは、洵に惜しき極みであった。翁こそは其の先師本田親徳翁と並び、斯界の双壁であると申しても過言ではあるまい。(下略)

右の文章によって大凡そ尽された感があるが、左に家系家族を掲げ以下本田長沢・両傑の出会い、その著書及び主な門人について等筆を進めましょう。(中略)

長沢雄楯安政五年八月八日駿河国安倍郡不二見村下清水に生る。

幼名大太郎、実父は奥州棚倉藩士国中新左エ門が婿に入り大太郎二才の時死亡したるに依り、駿府藩士大山浅次郎弟隼人が入籍し継父となる。(隼人は良く剣を使い漢籍に通じ、明治元年東海道先峰総督橋本実梁に従ひ維新駿州赤心隊に従軍して上野の戦に出陣した。)

妻寛子は昭和十二・三年頃まで健在であった。

昭和十五年十月十日午后二時五十三分帰幽す。二十一日従六位に叙せられ、午后一時武栄太夫斎主となり神葬祭執行す。

養子政士は雄楯の門人であり養子に入りしも長沢姓を名乗らず、長沢の親戚より娘(サダ〉を娶り花野を生む。現月見里神社宮司である。』(『本田親徳研究』)