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大和心

第496回 本田霊学の継承-34(1/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-08-16

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『(イ)不二見村三輪の茶屋

本田・長沢両傑の出会い〔註一〕は明治十八年春と比定せられる。場所は単に不二見村三輪の茶屋と伝えられている。併し不二見村というのは神神社の所在地には無く安倍郡にあり、現在の月見里神社の鎮座地即ち長沢雄楯の居住地であるが、三輪の茶屋と云うのは志太郡岡部町三輪の里の街道筋にあったという事から全く昏乱したのであった。

併し私の得た調査に依れば、本田親徳の静岡に来ったのは明治十五年一月であり、その時静岡本通りに寄寓し諸方面に教を布いた。神神社に参拝して三輪武と逢ったのはこの年と思われる。併し決して一処に逗留したのではなく、東京にも戻り又駿河伊豆地方にも巡講している。そして十六年十二月に奈良原繁が県令として着任する。従って或日に同藩士であったと云う事で会ったらしく、奈良原はその学識に感じて静岡浅間神社に於て講筳を開くをすすめたと思われる。奈良原繁は幕末有名な生麦事件に英人を斬った奈良原喜左エ門の弟で、薩藩士の中でも聞えた蛮勇の士であったが、静岡県令の任期は短く翌年十七年九月末に転任して工部大書記官に補されている。従ってこの県令とはさして親交あった訳でもなく、静岡に於ける生活費等は殆ど三輪武が主として世話したと伝えられている。