以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『本文
三、如此依し奉りし四方の国の中と、大倭日高見の国を安国と定め奉りて、下津磐根に官柱太敷立、高天原に千木高知て、皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて、天の御蔭・日の御蔭と隠坐して、安国と平けく所食さむ。如此知食す国の中に成出でむ天の益人等が、過犯しけむ雑々の罪事は、天つ罪国つ罪許々太久の罪出でむ。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
(注)「読み方」では、現代語訳として「このようにお任せもうしあげなさった四方の国の中心として、すばらしい大和の国のを表す(太陽の高く輝く意を表す)日高見の国を安穏な国とお決めもうしあげて、地下にある岩に神殿の柱を造営して、高天の原に向けて[屋上の両端に] 千本を付けて高大に造り構えて、天照大神のご子孫の天皇の、若々しく生き生きとした御殿をご造営もうしあげて、天上界の御殿、またご子孫の天皇の御殿として、[そこに] お籠りになって、安穏な国として平穏にご統治なさる、そのような国のなか全域に、次々と増加していく、そのような天上界の立派な人々が間違えて犯したというさまざまの罪過行為は、天上界における罪と地上の人々が犯した罪というように、実に多くの罪過が現れ出てくるであろう]
(注)「祝詞新講」では、現代語訳として「かように皇祖の神々が委ね給うた、天が下の中央というので、大和国を安らけき国とお定め申して、宮柱を地下の岩根にとどくまで掘り建てて、千木を大空に高く聳やかして、皇御孫命の善美を極めた宮殿を営み奉り、これを天の覆日の覆として住み給うて、平安に治め給う此の国土に、年々殖えて行く民草が、或いは過ち或いは犯した種々の罪事は、これを大別して、先ず天津罪と申して(中略)、他に国津罪と申して(中略)など多くの罪が、あまねく求めたならば、続々と出てくるだろう」