と、言はれた。この事は筆者が代筆を仰せつかって、静岡県庁へ呈出した講社の報告書類中にも次の如く述べて居られる。
「ー前略爾来殆んど全国に波及して、未だ集団を成すには至らざるも多少の信者は各地に散在するに至れり。茲に於て世に行はるゝ信仰者の状況を観察するに、無学の極迷信に陥り反って社会に害毒を及ぼす者多大ななるを知りて、指導者たる地位にある者は深く謹まざるべからざるを悟り、爾来多数の信者を得むよりも専ら神典と国史とを講究せしめ、以て迷信より覚醒せしめて皇道の大本を了得し、国民たるの本分を知らしむるを目的となし云々ー」
とある。こゝにも先生の真摯な御意志を知ることが出来るのである。
またこんな事も云はれた。
「師匠の本田翁は他の行者と同一視せられるのを嫌って、白衣を着たり瀧に打たれたりするのを非常に嫌悪せられた。自分も判官の腹切りではあるまいし大嫌ひである。」と。
吾々門人は今後共先生の御意志を体して、先生の示された正しい道から一歩も逸脱せぬやう充分に自重自戒して、只管、陛下に仕へ奉り、神祇を崇敬してその神徳の発揚を希ふことこそ、先生の教導に應へる唯一の道である、と思はれる。
今は、先生の部屋へ這入ってもそこには先生の温容はなく、たゞ冷やかな室内の空気が筆者の淋しい心を一層冷たく寂しくするのみである。
あゝ、杖とも柱とも頼んだ先生は忽焉として筆者の近寄ることも出来ない神界へ行かれてしまった。これからは先生の遺志を体して一、意専心、学術を励み霊術を修め、先生のご指示下された目的に邁進して、御高恩に応へ奉らんのみである。先生も神界から厚い御守護を垂れ給ふであらう。
師ながらも慈父の如くに仕へたる 翁神去りて吾れ世に淋し
師のふみし一すぢ道を我もまた たどり学びの奥がに行かな』「惟神 第2號 長沢雄楯大人追悼號」