右標目中ニ自感法トアルハ自己ノ力ニテ之ヲ得タルヲ云ヒ、他感法トハ師ニ就キ修業シテ得タルヲ云ヒ、神感法ハ偶然ニ神界ノ意志ヨリ憑依シテ託宣スルヲ云フ。神懸ニハ以上三種類アル者トス。
と説明いたして居ります。
〔註一〕長沢雄楯著「惟神」は昭和元年、大審院の依嘱により鑑定書を起草せし際、広く諸書を抜萃蒐集して研究の用に供したものの中、一部分を記して後学の為に示したもの、タイプ刷六七頁、月見里神社附属講社顕神本会発行。この様な本田霊学の根拠となったのは、記紀に所載する処でありますが、数ヶ所の中最も鮮明なのは、仲哀天皇並に神功皇后の巻であります。即ち「古事記」には、
故れ天皇、筑紫訶志比宮に坐して、熊曽国を撃けたまはむとせし時に、天皇、御琴を控かして、建内宿称大臣、沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、帰神して言教へ覚したまひつらくは、西の方に国有り。金銀を本めて、目の炎耀く種々の宝珍其の国に多在るを、吾今其の国を帰せ賜はむ。と詔りたまひき。爾に天皇答へ白したまはく。高き地に登りて西の方を見れば国土は見えず、唯大海のみこそ有れとまをして、詐為す神と謂ほして、御琴を押し退けて、控きたまはず、黙坐しぬ。爾れ其の神大く忿らして、凡、茲の天下は汝の知すべき国に非ず。汝は一道に向ひませ、と詔りたまひき。是に建内宿称大臣白しけらく、恐し、我が天皇、猶其の大御琴あそばせとまをしき。爾れ稍其の御琴を取り依せて、なまなまに控き坐しけるに、幾久もあらずて御琴の音聞えずなりぬ。即れ火を挙げて見まつれば、即く崩りましにき。
と重大な記事があります。日本書紀も大同小異の記述がありますが、この記事からは次の諸点が挙げられます。即ち、
㈠ この帰神の神術は天皇が自ら行われたこと。従って幽斎は皇室に伝えられたものである。
㈡ 国家重大時に於て神教を得るために行われた。