神道と日本の記事一覧

大和心

第533回 本田霊学の継承-48(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-09-12

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

さて前掲古事記の仲京天皇の巻から考えらるる点は、この幽斎は国家の安危に係る重大事に際しての公式のものであることであります。併し天皇自ら行わせられた公式のものがあれば、又必ず天下国家の大事とまでゆかぬ私の幽斎もあり得べきと思われますし、又その法術をみがくための稽古の幽斎もある事と考えられます。「私の幽斎」と申しましても決して低劣なものなどではなく、道の探究解明の為に神教を伺う等のこともあり得ますので、公に対してこそ私とは申せ、決して個人的な私ではなく普通幽斎、又は単に幽斎と申して、公式幽斎と区別する要もある様に考えます。世間によくある個人的な利益のためにする霊媒と厳に区別する要があるのであって、そうした場合には大方低級な俗霊であるが、之を見別けて処置するのも審神者の重き役目とされて居ります。

更に深く考えますと、古事記記載の公の幽斎と雖も之は顕世の者が神界に伺う形でありますが、更に神界の必要によって幽斎を命ぜらるる場合があり得ないであろうかという点であります。それは神感法の場合に何か神界の御都合によって憑依する場合も、又無形神感法として本人の意識しない中に霊感と して閃き悟らしめる場合もあり得ますので、他感法の場合も同様に命ぜられて幽斎を行うこともあり得ると思うのであります。併しこれらについては本題でありませんから触れないことに致し度いと思います。』(『本田親徳研究』)