神道と日本の記事一覧

大和心

第538回 本田霊学の継承-50(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-09-16

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

今や世界百科の学術大に進み其奥妙に至らむとす。是時に当りて唯訓義のみにては世人の信服すべき者にあらず。宜しく其実証によりて之を説明せざる可らず。謹んで我古典を案ずるに、宇宙万有の今日の現象をなせし者の原因を極むれば、悉く霊力体の三大原の然らしめし所にして、其理を推究する時は幽妙の域に到達するにあらざれば能はず。其妙境に至るには宜しく先づ神霊厳在の事実を確認せざる可らず。幽界の事情を知得するには神憑りを修得するにあらざれば能はず。神憑りを修得し神界の実在を了得し、始めて神界の妙旨を知り、宇宙万有の今の現象をなせかし所以を知り、是に於てか上代に最高の哲理・法教、道徳、自然に其聞に存し、神随言挙せぬ国にて無比の治をなせし所以も知り得ぺきなり。

然るに今の神典を解釈せる者を見るに神霊の実在を知らず。深くその理を極めず、漫然我神典を以て人智蒙昧なりし時諸国に行はれし神話と同一視し、甚しきに至りてはホトケ話の類となす者あり。其浅薄鹵莽憫笑するに勝へたり。此の如くにして神典の玄妙を極め得る者ならむや。否反りて神霊の尊厳を冒瀆する者と謂はざる可らず。滔々たる天下の風潮夫れ斯の如し、豈惟神の大道と国体の尊厳との真髄を説き得る者ならむや。道の振はざるもの此の徒の跋扈せるに依るものと謂はざる可らず。鳴呼慨歎の至りにあらずや。

武栄太夫氏は深くここに省る所あり、大正十一年十二月予が門に入り専心神懸りを修業し、略其業に通ず。爾来同氏を神主となし、予審神者となり神霊の憑依を請ひ、其都度神歌を示され、予之を筆記したるに既に百首に達し一冊子となし、これを神憑百首といふ。其主旨幽玄微妙なれども、幽界と顕界とは事情の異なる者あり。幽冥の事情に通ずるの士にあらざれば了解し能はざる者もあらむ。然れども深く其主旨を含味し研究する時は、神界の一端を窺ふに足る者あり、霊学研究の士にありでは最も必読の書なり。之を依拠とし更に深奥に進まば、竟に神典の玄妙を窺ひ、宇宙成立の原理を知り、惟神の道徳の優絶せる所以を明にし、国体の尊厳も是に於てか始めて明にすることを得べきなり。修身斉家治国平天下の大本は宜しく茲に求めざる可らず。読者幸に諒せよ、謹みて序す。

昭和八年一月  長沢雄楯』。(『本田親徳研究』)