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大和心

第552回 本田霊学の継承-57(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-09-25

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

と記している。私の持っている調査資料によると、住所は静岡県清水市三保であり、入門したのは明治二十四・五年頃、十五、六才であったと云われている。三保は御穂神社(御祭神大己貴命・三穂津姫命=延喜式内小社祈年の国幣に預かる)の産子地域である。遡って考えると明治八、九年の出生であろうと思われる。小児の頃から産土神社に出入して、長沢に愛され教えをうけていたであろうけれども、正式に入門したのは二十四・五年の事ではあるまいか。それは本田親徳の逝去後に当り、「翁は本田師より伝授された帰神術の試験台として」神主の指導を受けたと考えてよろしいと思われる。猶筆者の以前からの想定によれば、長択が審神者として神霊の厳在を確認したのはこの宮城島を神主として自らも修業を積んだ結果であって、本田の逝後に係ると思われるのであります。その点については前記引用の文は有力な手係りとも云えようか。

宮城島金作は非常に霊的に勝れていて、種々奇しびな事蹟や逸話が伝えられているのであるが、之は後に触れるとして、晩年は御穂教会を創立し盛大であったとの事である。仄聞(そくぶん)するに子息(信雄氏〉の語る処によると、「父は矢張り現在の様に学校教育を受けず、従って文学的思想的の穢汚がないので純粋に神界の高き神々と交感出来たのであると思う」との事であった。この信雄氏は国学院大学を卒業して教職にもつき、又御穂神社の宮司も奉職しましたが何かの事情でやめた由であります。』(『本田親徳研究』)