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大和心

第555回 本田霊学の継承-59(1/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-09-27

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『『明治二十七年(1894年)七月九日の日付が記された宮城島金作(当時二十一歳)による帰神の「履歴書」[M327]では、金作の「帰神法」の習得は、長澤雄楯からの本田霊学の継承によるものではなく、御穂神社の祭神からの直接的な啓示によってなされたことになっている。』(並木英子氏の論文)

『この「履歴書」によれば、金作が始めて帰神法を会得したのは、明治20年(1887年)三月二十八日である。この日、金作は、御穂神社の祭神である御穂津姫命の神感により、帰神の法式を伝授されたという。同年六月十五日には「御穂神社眷属憑依」があり、八月三日には、再び、「御穂津姫神ノ神感」があった。翌年の明治二十一年(1888 年)四月三日には、名を明らかにしない神憑あり、同年十二月十五日に「御穂神社眷属」の憑依があった。明治二十三年(1890 年)十月十二日に再び、御穂津姫命の神感があり、同年中「帰神法式ノ自習ニ従事セリ」とある。金作の神憑りの記述を本田親徳の『霊学抄』「帰神標目」に照らしてみると、明治二十年(1887 年)から明治二十二年(1889 年)まで、金作は、専ら「神感法」による神憑りをおこなっていた。そして、「自感法」が可能になったのが、明治二十三年(1890 年)中の自習によるものであった。そして「履歴」書には、「明治二十四年四月四日ヨリ、御穂神社祠官、長澤雄楯の依頼ニ応ジ、稲荷講社総本部、帰神ノ神主ニ嘱託セラル」とある。金作は、帰神の「履歴書」において、意図的に長澤雄楯、あるいは、月見里神社付属稲荷講社から距離をおいた記述をおこなっている。神道三穂教会関係史料においては、この明治二十四年四月四日の記述以外に月見里神社付属稲荷講社の情報は、発見できない。』(並木英子氏の論文)