以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
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そこで古事記に戻るが、祭りには祭式を主とする顕斎と、神の力による幽斎がある。この天児屋命が高天原で行ったのは、幽の世界でのことなので幽斎になる。神が奏上する祝詞とは、果たしてどのようなものなのだろう?
神には人格はないし、神と神が人間の言葉で意思の疎通を行うこともない。
つまり「天つ祝詞の太祝詞事」とは、人間の言葉を用いたものではないと考えるべきだ。
新井白石が「神とは人なり」と言ってから、神があたかも人間のような姿や心を持つように誤解されてしまった。それ以前の神仏習合によって神像が作られたり、神を擬人化した絵が描かれるようになっていたことも、その誤解に拍車をかけた。その結果、高天原で天児屋命が日本語で祝詞を奏上したかのような誤った方向へ学者たちを向かわせてしまったのだろう。