「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『本田は1888(明治21)年ころ、世界の高天原発見の目的で諸国を遊歴し、丹後の元伊勢、比沼麻奈為にも参拝し、綾部にも足跡を残したといわれているが、この年三月中旬、喜三郎と丹波の梨木峠で対面し、神道家として国のために尽くすように、とさとしたと伝えられる。また、船井郡鳥羽村八木嶋の村はずれで開祖とも出会し、開祖の身上について話し、七人の女の中の随一であるといったという。』大本七十年史・上巻
これについては、他に確認できるものはない。ただ「世界の高天原発見の目的で諸国を遊歴」というのは本田翁の霊学からすればあり得ない。理由は「古事記神理解」に書かれているが。
故に、恐らくは出口氏かその周辺の創作話だと思う。
「惟神 第二号」にこの小冊子の発行費寄付者名(21名)が掲載されており、そこに出口喜三郎氏と中野與之助氏の名前がみられる。前者は大本教の出口王仁三郎氏、後者は三五教の創始者の方だと思われる。中野氏は大本教にいた時に昭和10年の第二次大本事件で入獄。その後、長沢翁の元で本田霊学を学んだ。昭和24年に三五教を開教。両者ともに長沢翁を生涯慕っていたことが窺える。
鈴木氏によれば、出口氏について「明治三十一年四月の入門修業期間は約一ヶ月半ほどの間であり、再度清水市に赴いて指導をうけたのは明治三十四年であったと思われる。」ということだが、大本教の大本七十年史・上巻によると、4月28日夕刻に稲荷講社総本部に到着。