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大和心

第613回 本田霊学の継承-89

著者:小山一夫 / 公開日:2024-11-08

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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出口なお氏も当初は「筆先と霊学とあわせねば、ものは成就いたさんのざぞよ」(明治34・3・7)として王仁三郎氏を擁護し支持していたが、

『「艮の金神は稲荷講社の下にはなれんから、この方で一派立てるから」(明治35・旧4・6)と会長の改心をせまるなど、稲荷講社をはげしく非難するように変化していった。

このような批判の根拠には、いうまでもなく大本の神の独自な偉大さにたいする信仰があったが、他方において思想的にも、日常の信仰生活においても、稲荷講社とはあいいれない面があったからである。』、(大本七十年史・上巻)

『開祖と会長が神懸り状態となると、たがいに雄叫びして激しい様相となるが、神懸りがおさまると、いつもの親しい親子の状態にかえるので、役員・信者にはこの争いがなんのことかほとんど理解できなかったのである。』(大本七十年史・上巻)と変化している。

明治36年になると王仁三郎夫妻に長女も生まれ、徐々に王仁三郎氏となお氏の対立も鎮まってゆく。

同年『旧四月二七日の筆先によれば「こんど岩戸を開くには会長は坤の金神に守護が変わりて、善一すじの道へ立ち帰りて、出口王仁三郎と名をいたすから」とあって、これまでは小松林命の守護であるとして攻撃されていたのが、このたびの岩戸開きにより、会長は坤の金神の守護にかわり、またことのときをきして、上田姓をあらためて出口王仁三郎とよばれることになった。その後稲荷講社との関係もたち切って、大本は艮の金神の教ひとすじでゆくことになる。』(大本七十年史・上巻)