此処で 「幽の幽」は、「独神に成り坐して、身を隠したまひき」の神々である、即ち造化の神々で別表の通りである。
「幽の顕」は、大虚空に輝く太陽・月・他星辰に司神として活躍されて居られる神々、と天津神を地上に御降臨を願って祭祀した神社に居られる神々を申し上げる。
「顕の幽」は、国津神が主体で地球上に於いて幽冥界を主宰されて居られる大国主神 (表では大己貴命)の如く地上の万物諸々に活きのある神々。
「顕の顕」は、皇孫命より地上に於て体を持って居られ然も神の御心を政(マツリ)事に実現される現体を持つ人に憑り付く神々。と申す事である。
天の磐門(イワト)を押披きて。此の磐門は地上で云えば大きな岩石で出来た門の事であるが、天の大虚空に物質的な門は無い。即ち設神理であって、御用の神々が神留り坐す所から御活躍のために出現される境 (神に上・中・下の位格ありと本田翁は申して居られる、依って神格に差のある処と解す)を磐門と表現したもので、幽斎問答のお答えも「神々の神格 ・御位等の神気の境」と明言して居られた。
押披きて。は開くと云う事を「押す」を冠して強く表現したものである。
天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食さむ。
此の「天の八重雲を伊頭の千別に千別て」は前(サキ)(本文二の解説)に詳述したので省く。
所聞食さむ。は、字解の通り、お聞き入れになるの意である。
此の条は、天津神の神威を発揮されて遮るものを祓い除いて祈願致す人 (霊止)の願いを、お聞き入れ下さるであろう。の意である。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)